まめつぶ

豆粒みたいに小さなつぶやき。

野生児のすゝめ

野生児

乳幼児期から,人間の社会からほぼ完全に隔離された状況で成育したヒトのこと。ただひとり森の中で暮していたといわれるアベロンの野生児,オオカミに育てられたとされるインドの2人の少女,幽閉されて人間的接触を絶たれていたカスパー・ハウザーなどが有名。一般に言語を欠き,直立歩行が困難で,ときに種々の感覚が動物的な鋭敏さをもつとされる。
            (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

 

初めて引用使ってみました。使い方合ってるかな?どきどき。

 

どうも、まめです。

 

さて、野生児とは、上で示したような意味で使われる言葉のようです。
私が使いたい意味とは、少し異なっていたので、ここで私なりに定義しておきます。

 


「野生児

本能や直感に素直に従う人。感情を表情や声に出す人のこと。」

 

 

このような定義のもとに、今回はお話ししていこうと思います。

 

 

「みんな、野生児はいいぞ!」

 

私が野生児のよさに気づいたのは、フィリピンで生活していたとき。
1ヶ月ほどの滞在だったのですが、そこで出会ったフィリピンの人たちが、感情を爆発させることの良さを教えてくれました。


彼らは、船の上だろうがスーパーだろうが、お構いなしに全力でふざけて、全力で笑うんですよ。
一緒に映画を見たときも、夜中だろうが大声で叫ぶ。
私もつられて、キスシーンでは大騒ぎしてしまった。

 

それが私にとってはものすごく快感でした。

 


もちろん日常ではない、日本ではない、という開放感もありましたが、
一人暮らしの私は、こういう風に騒ぐことってあまりないんですよね。
テレビを見て笑うのも、ほくそ笑むみたいな。静かに噛みしめるみたいな。
だから、感情を爆発させることができたのは本当に楽しかった。

 

そして、野生児の何が良いかって、人とすぐに仲良くなれる。
フィリピンでは周りもそういう人が多いから、もちろん打ち解けるのに時間はかからないけど、日本においても役に立つと思います。
にこにこしてたり、リアクションがいい人って、やっぱりとっつきやすいじゃないですか。
頑張って野生児である必要はないけれど、自分の感情に素直になるってことだから、
頑張るというよりむしろ頑張らないみたいな。伝わるかな?

 


こうして、フィリピンで無事野生児として開花した私ですが、振り返ってみれば、
もともと野生児のポテンシャル(野生児のポテンシャル?)はあったんですね、私。

例えば学生時代、体育の授業でバスケをしたとき。
ボールを持ったら、叫びながらドリブルしてました。
ボールを奪いに来る人をよけながらゴールを目指す、というハラハラ感に耐えられなくて。
同じように、野球でベース間を走るとき、バレーでレシーブするとき、テストで悪い点取ったとき、おいしいものを食べたとき、、、。
とにかく声を出すことは日常的にしていました。
体育祭のビデオ見て、自分で引いたもんな・・・自分がうるさすぎて・・・。

 

 

とにかく、私たちはもっと野生児であってもいいな、と感じていて。
見えてくる世界が違ってくるし、私は生きていてすごく楽しい。

 

これを読んでくれた人がいたら、ぜひ試してみて欲しいな。
責任はとらないけど。