まめつぶ

豆粒みたいに小さなつぶやき。

相手に期待する前に自分を省みる必要があると気づいた話

どうも、まめです。

2022年になりましたね。

今年もゆるくやっていきますので、どうぞよろしくお願いします。

 

 

さて、今回は、パートナーと対等でいたいと思ったとき、自分は思ったより頑張らないといけないな、と思った話です。

 

 

 

「年上なら普通会計は多く持つべきだと思わない?!」

「告白はやっぱり男の子からして欲しいよね。」

「もっと好きって言って欲しい。」

 

 

現代のコンプライアンス的に余裕でアウトな発言もありますが、実際、友人からの恋愛相談ではこういった言葉を頻繁に耳にします。

「うーん、そうかもねえ。」と適当に流しつつ、私は心の中で軽蔑の眼差しを向けてきました。

 

 

パートナーとは、極めて対等な関係を築きたいと考えてきたからです。

 

デートプランは二人で相談して決めればいいし、稼ぎに大差が無いならば会計はぴったり割り勘でいい。

どんなに重い荷物でも自分の持ち物なら頼らずに持つし、とにかく対等でありたいというのが私の理想だったのです。

 

 

しかし、月日は流れ、実際にパートナーができてから思ったこと。

それは、自分は想像以上に甘えたい生き物だったということ。

机上では対等な関係を思い描きつつ、手を繋いだりハグしたりは相手からして欲しいな、と思う自分がいる。

いつも二人でわいわい決めるデート先も、たまにはスマートにプランを提案してくれたら嬉しいかも、なんて期待してしまったりする。

 

 

 

そんな時、じゃあ自分はどうか?と問うてみるようにしています。

相手に期待するような愛情表現を、自分は相手に対してできているか?

相手が誘いたいと思うような魅力が自分にあるのか?

そうすると、自分も足りないな、相手に求めるなら自分もそれ以上のことを満たしていなければ、と猛省するんです。

 

 

 

私は今、パートナーと、思い描いていたような対等な関係を築けていると思います。

しかし、そのためには想像以上に自分を正す必要があると感じます。

 

これは、自分の中で結構な驚きであり、重要な気づきでした。

それでも、そうやって向き合いたい相手がいる、ということは大変愛おしい。

自分を省みつつ、相手を思いやりつつ、ゆっくり進んで行けたらいいな、と今は思います。

 

 

 

 

やば、激イタ文章かも。

それでも感じたことの記録として。では。