まめつぶ

豆粒みたいに小さなつぶやき。

外の世界に目を向けるということ

どうも、まめです。

またまたお久しぶりすぎましたね。

 

最近は上手くいかないことが多いですが、なんとか精神を保って日々暮らしています。

こういうときって、文章が書きたくなるものですね。

 

今回も、考えたことをつらつら書いていこうと思います。

 

みんな居場所いくつ持ってる?? 

 

私たち人間は、様々なコミュニティに属して日々生活しています。
家族の一員として、学校のクラスや部活動、アルバイト先や勤務先、地元の幼なじみや大学からの友人、などなど、思いつく属性はたくさんあります。

 

このようなコミュニティに、皆さんはいくつ参加していますか?

もちろんその多寡で善し悪しを決めるわけではありません。

少ないコミュニティで心地よく過ごすのも良し。

多くのコミュニティをのぞいて、興味を広げるのも良し。

 

私の場合は、現在、より多くのコミュニティを持っていたい

と感じているのでそれについてお話しします。
もちろんこれは時と場合によるので、「へー。」て感じで聞いてね。

 

まずは、学生時代について。

特に小学校までは、ほとんどの人が家と学校をコミュニティとして有していると思います。
私はスイミングや楽器を習っていたためそこでのコミュニティもありましたが、それほど深い関わりではありませんでした。

 

中学校に進学すると、部活動というコミュニティが増えますよね。
これは時にクラスを超え学年を超え、非常に強いコミュニティとなることがあります。
そう、私が複数のコミュニティを持つことの強みに気がついたのは、まさにこの頃でした。
それは、体調を崩して学校を早退した帰り道。
部活の先輩で、卒業し高校生になった部活の先輩にばったり会いました。

何でこの時間に?

この時間、学生は歩いておらず、とても不思議な感覚を覚えていました。
先輩曰く、高校のテスト期間で帰りが早かったそう。
こんな世界線があったのかー!と、頭を打たれたような衝撃でした。

 

私は部活にも出られず早退したことに、どこか罪悪感まで覚えていました。

でも、外の世界に目を向けると、いろいろな人生を生きている人が見てくるんですよね。

確かにこの時間学生は歩いてないけど、昼休みなのか、OLさんがお財布を持っていたり主婦が買い物に出かけていたり。

そう考えると、自分がいかに狭いコミュニティにとらわれていたかに気づいて、馬鹿馬鹿しくなるんですよね。

 

 

居場所がいくつかあって、常に外の世界に目を向けることが出来ると、自分にも余裕が出てくる。

選択に迷ったときも、いろいろな視点から考えることができるようになる。

 

私はこれから年を重ねて、変化していく中でも、家庭と学校、仕事以外のコミュニティを持とうと決めています。
それは料理教室かもしれないし、ジムかもしれないし、ボランティアかもしれない。
実はこのブログも、自分の逃げ場を増やすために始めたのかも。

 

とにかく、狭いコミュニティにとらわれないようにしたいのです。

世界は広い!

それだけは忘れずに。

 

 

 

 

 

想像力があって困ることってない

どうも、まめです。

お久しぶりすぎいいいいいいいい。

私が書いてなかっただけなんですが。少し忙しくしておりまして。

 

またまた最近思ったことがあったので書き留めておきます。

 

想像力って、あればあるほどいいな?!、て話です。

 

赤毛のアンみたいに、どんな状況にいても、心は自由に飛べることを知ってるって、強いですよね。

おっと、ポエムみたいになってしまいました。

 

 

私がお話ししたいのは、対人関係における想像力のお話しなんですよ。

例えば、人の嘘やごまかしを許せないタイプの人っていますよね。

なんとなーく、あ、これ言い訳だな、はぐらかされたな、って分かる場合に。

 

具体的な例を示すと、学生時代を思い出してください。

「部活、通院のため休みます。」

いや、何の通院やねん。
さっきの体育はめちゃめちゃはしゃいでたやんけ。
今日筋トレだから絶対休みたいだけやろ。

こういうふうに考えてしまうことって、誰しもあると思います。
だって、絶対ずる休みだもんって。

 

私も小学生までは、どちらかというと許せないタイプの人間でした。
口には出さないけど、内心そういう風に考えてしまっていた。

でも、きっかけは思い出せないけど、あるとき気がついたんですね。

 

 

 

もしも、本当に病院だったら?
見た目では分からない難病を抱えていたら?
例えば家族が入院していて、お見舞いに行くんだったら?
家計が苦しくて、バイトをしないといけない状況だったら?

 

 

 

もしもって考えて想像してみると、無限に可能性が出てきます。

こういう風に考えるようになってからは、自分もかなり楽になりました。

例えば、自分も病院で休むとき。病院と言っても、毎月通っている歯医者だけど。
みんなにはずる休みに見えてるのかなあ、なんて思っていたけど、そんなの関係ねえ。何があるかなんて他人には分かんないじゃん。
勝手に想像して決めつけないで?!

こんな風に考えると、休むという事実やずる休みを疑われてしまうことへの罪悪感みたいなものが小さくなるのです。

 

 

そして、私はずる休みだったとしても、もしもを想像して、

 

「大丈夫?お大事に。」

「じゃあまた明日だね!」

 

みたいに、声をかけられる人間になりたいな。

 

人間、誰かの気持ちや事情をそっくりそのまま知ることはできないし、想像力にも限界がある。
それでも、自分の想像力をフル稼働させて、受け止める器を大きくしていきたいなあと思いました。

 

 

 

 

いつも通り抽象的な話で申し訳ないです。

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーすっきりした。

やっぱり文章を書くっていいですね。

では、今回はこのへんで。

自分の気持ちを素因数分解してみる

どうも、まめです。
お久しぶりです。

 

 

最近、自分について気づいたことがあったので、書き留めておきます。

 

 

私はストレスに比較的強く、あまり落ち込まない性格です。

この性格には本当に助けられていて。
「まあ何とかなるっしょ」という楽観的かつ大雑把な考え方によって、嫌で嫌で仕方ないという状態が長く続くことはあまりありません。

 

 

 

こんな私ですが、1ヶ月に2回くらい、メンタルが弱ることがあります。
どのくらい弱るかというと、夜考え事をしてなかなか眠れず、YouTubeで何となく検索した曲を聴きながら枕を濡らすくらいです。
これって結構病んでるのかな?!
でも翌日にはケロッとしているので、すっきりするために涙を流すって感じ。

 

 

 

 

じゃあどういう時にしんどいと感じるのか?


私の場合は、「目標が明確でない+何をすれば良いか分からない」という状態が苦手なようです。


例えば、高校のテストに例えてみます。
「何となく良い点を取れたらなあ+英語と数学どっちをやるべき?友達はもう英語始めてるし・・・」
といった状況に陥ったとき、焦りと不安で心がいっぱいになってしまうのです。

逆に、テストでも「○○点以上+今週は英語をやる」のように決めることが出来れば、そこからはあまり苦にならず取り組むことが出来ます。
やることさえ決まれば、進めるタイプのようです。

 

この、「どういうときに自分はしんどいと感じるのか」を自覚できると、とても楽なんですよ。
今は優先順位が分からないから辛いんだな、他の人と進め方が違うから焦ってるんだな、とか。
なんとなーく嫌な気持ちに心が支配されてしまう前に、気づくことができる。

 

 

 

 

はあーーーーーまた何を言いたいかまとまりませんでした。
とにかく、何となく嫌だな、という気持ちを素因数分解してみると、案外今やるべきことが見えてくるよ。そして、やるべきことが分かってからの私は比較的集中して取り組めるよ。大丈夫。ということ。(自分を励ましてますね・・・。)

 

 

何となくもやもやしててしんどいなって人は、自分が何でもやもやしているのか、考えてみるのオヌヌメです!

 

さて、私はやるべきことが定まったので、進むのみ。やるぞ。

 

 

コロナをポジティブに捉えてみた。無理だった。

どうも、まめです。

 

2020年といえば、新型コロナウイルスの大流行。
そう言わざるを得ないくらい、コロナが私たちに与えた影響は大きいものです。


医療従事者の方、その家族の方々、大学に入学するもいまだキャンパスに行くことができていない新入生や結婚式の延期を余儀なくされた新婚夫婦、海外留学を諦めた人や仕事を失ってしまった人、感染の恐怖と戦いながら毎日満員電車に揺られている人・・・。

 

様々な人の立場に立って想像してみると、みんなそれぞれいろいろな形で影響を受けていて、とても悲しくなります。

 

そして、もちろん私自身も。
行きたかった場所に行けない。会いたかった人に会えない。
コロナさえなければ、こんなこと、あんなこと、できたのに。
特に私がやるせないのは、「今」という時間を無駄にしてしまっている、という感覚。
人生が変わるような出会いがあったかもしれないのに。
コロナが終わったら、じゃダメなの。
やりたいことはあるのにできない、そんな状況で何も行動できない自分に焦り、いらだち、悲しくなる。

 

 

 

そんな中で、「コロナをポジティブに捉えよう」、という言葉をかけられたことがありました。

「コロナをチャンスと捉えて、新しいことやってみようよ」
「コロナも悪いことばっかりじゃないって」

正直、当時の私の精神状態的に「そんなのやってられっかよ!」とはねのけてしまったのですが、ここで少し向き合ってみようかなと思います。

皆さんも、心に余裕があるときに読んでくれたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

よっし、ここからポジティブモードでいきます☆
みんなついてこーーーーーーーーい!!!!!!!!!!!
ポジティブな私は、コロナのことも、仲の良い友達のように親しみを込めて「コロナちゃん」と呼びます。
よし、じゃあ、コロナちゃんと出会って良かったこと、挙げてみようかな。

 

 

①家族との時間が増えた
コロナちゃんと仲良くなる直前、私は一人暮らしの自宅から実家に帰省していました。
かれこれもう、半年ほど実家で生活しています。
おそらく、これまでの人生でいちばん家族と同じ時間を過ごしています。
これはコロナちゃんがいなければ生み出されなかった時間ですね。
コロナちゃん、ありがとう!

 

 

②パソコンやスマホに強くなった
リモートワークが増えることで、パソコンとすごく仲良くなりました。
これまで使ったことのないソフトやアプリを毎日のように使うようになったし、タイピングも心なしか早くなったような気がします。
私の場合は、仕事でTwitterや動画編集をする機会があり、やろうと思えばできるんだなと思うことが多くありました。
とにかくこれまで食わず嫌いしていたけど、つべこべ言わずやってみるもんだなと。
これも、コロナちゃんがパソコンやTwitterを紹介してくれたおかげです。
コロナちゃん、ありがとう!

 

 

③友人関係が整理された
少しきつい言い方になってしまいましたが、これも事実です。
コロナちゃんが、人間関係の整理までしてくれたということですね。
離れたところにいる友人とは、テレビ電話をして関係を保っていたという人が多かったのではないでしょうか。
「保っていた」という言葉に違和感を抱くほど、会いたいけど会えないから電話しようという認識で私はコンタクトをとっていました。
しかし、その中でも、小さな気づきがあったわけです。
ずーっと変わらず連絡を取っている友人もいれば、一方で最初の方だけだった友人もいて。
これまで月1で会うのが決まり、みたいになっていたところもあったけど、実は私この人とそんなに頻繁に連絡とらなくても平気なのかも、と。
何か話を聞いて欲しいとき、電話かけたのはこの人だったな。
こんな感じで、真の交友関係が見えてきた、という感じです。
これはコロナちゃんが教えてくれた、小さな気づきですね。
コロナちゃん、ありがとう!

 

 

 

さて、ここまで3つ、コロナちゃんと出会って良かったことを挙げてみました。
コロナちゃん、ありがとう!

 

 


ありがとう!

 

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

ありがとう・・・

 

 

 

 

 

ありがとう・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ってなるかああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!

 


おっとすみません、少し取り乱しました。

 

 

 

やっぱり無理!
コロナありがとうなんて思えない!!!
たくさんの人の命を奪ったコロナが憎い!
私たちの人生の中で大切な時間を奪ったコロナが許せない!

 

 

この記事で私が伝えたかったのは、無理にポジティブに考えようとする必要はないってことです。
憎いものは憎い。
もしポジティブに捉えることで一歩踏み出せる人がいるなら、そうすればいいよってこと。

 

 


私の場合は無理でした。
今日も、コロナ早くいなくなれー!!と思いながら、目の前のできることと向き合っています。

 

 

 

コロナなんて大っ嫌い!!!!でも負けないんだからね!!!!!!!

 

 


新型コロナウイルスの影響を受けたすべての人、必死に戦っているすべての人に思いを馳せて。
もう少し踏ん張りましょう。

誰か私にカラオケの楽しさを教えてください

からおけ。カラオケ。KARAOKE

 

カラオケとは、日本が誇る娯楽の一つである。

飲みの後、2件目の候補にボーリングと並んで必ず入ってくるもの。

 

 

 


でも、私はとにかくカラオケが苦手なんだあーーーーーーーーー!!!!(大の字)

 

 どうも、まめです。

 

 

カラオケに対して、別に嫌悪感を持っているということでもなく、純粋にその楽しさが理解できないのです。
カラオケ大好きな方、もしお気を悪くさせたらごめんなさい。
その際は、静かにブログを閉じていただければ。
本当に悪意はなくて、どうして自分が苦手なのか、考えてみようという記事です。
じゃあ、いってみよー!

 

 

さて、私のカラオケ歴についてお話しします。

初めて行ったのは、おそらく幼稚園の頃かな?

母の友人と一緒に行き、一曲、『おしりかじり虫』を歌いました。
おっと、世代がばれますね。
でも、記憶に残ってるのは断然、飲み物。カルピス飲んだ。

 

その後、小中高と、人生で最もカラオケに入り浸っても良いのではないかという年代を、カラオケをほとんど訪れることなく過ごします。
打ち上げや付き合いで行ったことはあるけど、歌わずに息を潜めていました。
この期間ほとんどカラオケに行かなかったのは、勉強や部活で忙しかった、というのもあるし、私自身がやんわり回避してきたこともあります。
「実は私あんまり得意じゃないし、こっちのカフェにしない?」みたいに、他の選択肢を提示することでカラオケから逃れてきました。
大学では、テスト終わりに行きました。私史上最もカラオケに浸った期間ですが、それでもやっぱりそこまでハマらなかったんですよね。

 

 

なぜ私はカラオケの楽しさが分からないのか?
その理由を考えてみました。

 

 

 

①大きい音が苦手
まずはこれですね。
これ、ゲームセンターやプリクラにも言えることなんですけど。
がやがや、ざわざわしてるのが苦手です。
居場所がないというか、肩をすくめちゃう。
映画館で流れる予告とかも、苦手です。
そうなると、カラオケという空間自体が私にとってはストレスということになります。

 

 

②タバコのにおいが苦手
どうしてカラオケってタバコ臭いんだろうか。
もちろんタバコ臭くないところもあるとは思いますが。
それに加えて、空気がこもることも多い。
これについても、単純に居心地が悪い、ということなんですよね。

 

 

③歌唱環境に満足している
カラオケが苦手、ていうと、歌うことが嫌いなの?と思われることがあります。
でも、真逆。
歌うこと自体は大好きです。
一人暮らしなので、洗濯、掃除、料理、ほとんどの時間歌いながら家事をしています。あ、もちろんお風呂も!
とにかく家ではよく歌っています。
今の歌唱環境で充分満足しているから、お金を払ってまでわざわざカラオケに行く、という概念があまりしっくりこないんですね。
確かにコーラスが入るものもありますし、マイクで自分の声が反響するのは気持ちいいのかもしれません。
でも、だったらお風呂でもいいかなあって思ってしまう。
ああ、めんどくさい人間でごめんよ。
でも、分かってくれる人いるよね???(圧)

 

 

④カラオケで歌える曲が少ない
私は洋楽が好きで、しかも今流行の曲を聴くってより、昔取り込んだお気に入りの曲を繰り返し聴くタイプなんです。
これはもう、本当にカラオケに向かないんですよね。
流行のJ-POPをチェックして、友人と一緒に歌おうと頑張ったこともありましたが、撃沈。
サビはまだ歌えても、Cメロや2番の歌詞で撃沈。
いわゆる十八番もなくて、選曲だけでめっちゃ悩んでしまう。

 

 

⑤自分の歌に自信がない
やっぱこれですね!(笑)
友人には「音痴ではなくない?普通だよ?」と言われるんです。
自分でも、聞いてられないほど音痴というわけではないと思うんですが、やっぱり人に聞かせるほどのものでは、決して、ない。(笑)
他の人に自分の歌を聴かせるのが申し訳ないな、と思ってしまうんです。

 

 

さて、ここまで5つの理由を挙げてみました。


いやあ、私ってひねくれてるのかなあ。
めんどくさい人間ですね。
でも、同じように感じている人も少なからずいるのではないでしょうか。
無理してまで行きたくないけど、みんなで行くってなったら一緒に楽しめる自分ではいたいんですよね。

 

カラオケも練習あるのみ!

 

 

 

まずは十八番をつくることからはじめようかな・・・?

野生児のすゝめ

野生児

乳幼児期から,人間の社会からほぼ完全に隔離された状況で成育したヒトのこと。ただひとり森の中で暮していたといわれるアベロンの野生児,オオカミに育てられたとされるインドの2人の少女,幽閉されて人間的接触を絶たれていたカスパー・ハウザーなどが有名。一般に言語を欠き,直立歩行が困難で,ときに種々の感覚が動物的な鋭敏さをもつとされる。
            (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

 

初めて引用使ってみました。使い方合ってるかな?どきどき。

 

どうも、まめです。

 

さて、野生児とは、上で示したような意味で使われる言葉のようです。
私が使いたい意味とは、少し異なっていたので、ここで私なりに定義しておきます。

 


「野生児

本能や直感に素直に従う人。感情を表情や声に出す人のこと。」

 

 

このような定義のもとに、今回はお話ししていこうと思います。

 

 

「みんな、野生児はいいぞ!」

 

私が野生児のよさに気づいたのは、フィリピンで生活していたとき。
1ヶ月ほどの滞在だったのですが、そこで出会ったフィリピンの人たちが、感情を爆発させることの良さを教えてくれました。


彼らは、船の上だろうがスーパーだろうが、お構いなしに全力でふざけて、全力で笑うんですよ。
一緒に映画を見たときも、夜中だろうが大声で叫ぶ。
私もつられて、キスシーンでは大騒ぎしてしまった。

 

それが私にとってはものすごく快感でした。

 


もちろん日常ではない、日本ではない、という開放感もありましたが、
一人暮らしの私は、こういう風に騒ぐことってあまりないんですよね。
テレビを見て笑うのも、ほくそ笑むみたいな。静かに噛みしめるみたいな。
だから、感情を爆発させることができたのは本当に楽しかった。

 

そして、野生児の何が良いかって、人とすぐに仲良くなれる。
フィリピンでは周りもそういう人が多いから、もちろん打ち解けるのに時間はかからないけど、日本においても役に立つと思います。
にこにこしてたり、リアクションがいい人って、やっぱりとっつきやすいじゃないですか。
頑張って野生児である必要はないけれど、自分の感情に素直になるってことだから、
頑張るというよりむしろ頑張らないみたいな。伝わるかな?

 


こうして、フィリピンで無事野生児として開花した私ですが、振り返ってみれば、
もともと野生児のポテンシャル(野生児のポテンシャル?)はあったんですね、私。

例えば学生時代、体育の授業でバスケをしたとき。
ボールを持ったら、叫びながらドリブルしてました。
ボールを奪いに来る人をよけながらゴールを目指す、というハラハラ感に耐えられなくて。
同じように、野球でベース間を走るとき、バレーでレシーブするとき、テストで悪い点取ったとき、おいしいものを食べたとき、、、。
とにかく声を出すことは日常的にしていました。
体育祭のビデオ見て、自分で引いたもんな・・・自分がうるさすぎて・・・。

 

 

とにかく、私たちはもっと野生児であってもいいな、と感じていて。
見えてくる世界が違ってくるし、私は生きていてすごく楽しい。

 

これを読んでくれた人がいたら、ぜひ試してみて欲しいな。
責任はとらないけど。

 

 

メイクするの、楽しいですか?

どうも、まめです。

 

皆さんは、メイクするの、好きですか?
ここでのメイクは、いわゆるお化粧ということですね。
今では女性だけでなく男性も、大人だけでなく中高生も、多くの人がメイクを楽しむようになっています。

 

 

メイクって、何のため?誰のため?

 

 

私がずっとぐるぐる考えていたことです。

 

始めに、私のメイク事情についてお話ししましょう。(興味ないなんて言わないで。)
私のメイクは、すっぴんからあまりかけ離れたくない、という理由から、
かなり薄めかと思われます。
がっつり肌色のファンデーションは使ったことがないし、マスカラもほとんどしません。
アイラインも、とにかく自然に見えるように、はね上げたりたれ下げたりしないように引きます。
シェーディングやハイライトも使ったことがありません。

 


まあこんな感じで、とにかく薄いです。
友達にはいつも「今日メイクしてる?」と聞かれます。
私にとってメイクは、自分をよく見せようと飾るもの、または自分のコンプレックスを隠すものという認識でした。
そういう認識があるから、
頑張ってメイクする=頑張って自分を良く見せようとしている、
みたいな脳内変換が起きていたんだと思うんですよね。

 


私がメイクデビューしたのは大学生になってからで、それはもうひどいものでした。
下手っぴだし楽しくないし。
メイクして高校時代の友人に合うのが一番恥ずかしかった。
高校時代は運動部で、汗だくすっぴんでしたからね。
家族には「私、メイクしないで生きていくわ!」と宣言していました。

 


こんな感じで「メイク下手だね。」と言われても、痛くもかゆくもなかった私ですが、メイク上手な友人との出会いが私の気持ちに変化を与えます。
一緒にコスメを見に行って似合いそうなものを選んでくれたり、家で私にメイクしてくれたり。

そして、その友達は、自分で自分をかわいいというんですよ!

「キラキラのアイシャドウのったおめめかわいい」

「マットなリップ大人っぽくなっていい感じ」

「今日のまつげ上手くいったぱちくり最高」

さらにさらに、自撮り写真を送ってくるわけです。

「今日メイク上手くいった!かわいくない?」みたいな。

 


ああ、私、みんなもしてるから浮かないように、笑われないように。
周りの目を気にしてメイクしてたんだ。
どうりで楽しくないわけだ。

 


それに気がついてからは、もうメイクが楽しくて。
純粋に、自分のためにメイクするようになったから。
メイクするとテンションが上がるし、ごきげんでいられる。

 


みんな、自分のためにメイクしよう。自分のかわいいのために。